2015年10月07日
匹見の写真店「テラダスタジオ」

「テラダスタジオ」をご存知の方はどれだけいらっしゃるだろうか。
大正9年、蔚山(ウルサン、韓国)に生まれた寺田二郎さんは、
第二次世界大戦のときジャカルタで航空偵察要員として
戦地の様子をカメラに収める任務に当たった。
23歳で終戦を迎え、親戚の松下さんを頼って匹見へ。
しばらくは土木工事や索道のアルバイトで食いつないでいたが、
信子さんと結婚し長女の美千代さんが生まれると、
これまでの経験を活かして
見合い写真や結婚式、運動会など記念写真の撮影・販売や
工事現場の証拠写真などの撮影を始めた。
ご親族の話によると
「工事現場の証拠写真は一番儲かったという。
当時はカメラを持っている家庭が極めて少なかったため
飛ぶように写真が売れたようで
隣町の六日市へ自転車で峠越えをし
帰りは現金でいっぱいになった袋を両手に抱えて帰ることもあった」とか。
「冬には峠が越えられず死にかけたこともあった」。

昭和33、34年ごろ、現在の匹見郵便局の西隣(匹見川沿い)に自宅に併設する形で「テラダスタジオ」を開店する。
写真撮影や現像、カメラの販売・修理取次が主な仕事だった。
二郎さんは、スポーツマンで新しい物好き。
ダンスパーティーを企画したり、ボーイスカウトを匹見につくろうと尽力した。
モノクロテレビも我先に購入し、近所の人たちがテレビを観るため寺田家に訪れていたという。

驚きだったのは、「テラダスタジオ」の受付に飾られていた、一糸まとわぬ女性のヌード写真。
撮影場所は表匹見峡だ。
匹見峡といえば、今でこそ「表」をはじめ「裏」「奥」「前」の総称だが、戦後まもない頃、匹見峡といえば表匹見峡を指していたようだ。


受付のヌード写真だが、まだヘアヌードが解禁していなかった時代、二郎さんは仲間を集め、表匹見峡でヌード撮影会を開いている。
その時の一枚が、それだ。画期的な試みであったことが伺える。

さまざまなショットがアルバムの中に収められている。
もしかしたら、匹見町民の方の中にも記憶に残っている人がいるかもしれない。
時代は流れる。
写真は、スタジオで撮影してもらう物から、カメラの普及により、各家庭で撮影していく物へと変わっていく。
カメラ店業界にもカラー現像機が出回っていくが
「とても高く、テラダスタジオで購入できるものではなかった」という。
栄枯盛衰。
匹見町内に、カラー写真の現像を取り扱う山本写真館が開業したことにより
「テラダスタジオ」の全盛期は峠を過ぎることになる。
平成2年に二郎さんが病に倒れられたのを機に、「テラダスタジオ」は32年の歴史に幕を閉じた。
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このたび、二郎さんの妻・寺田信子さんが平成26年2月にご逝去されたのを機に
ご親族のご厚意で、二郎さんが撮影・所有されていた写真を匹見上公民館に寄贈していただいた。

平成27年11月23日(月)の「匹見町産業文化祭」(匹見小体育館)で一部展示、翌11月24日から12月18日まで、匹見上公民館で展示される予定となっている。
たくさんの方に足を運んでもらいたい。

匹見上公民館の職員の方と写真の整理を行っている。