2007年06月22日
泥落としに、参上
お待ちかね〜
下道川下地区は田屋原の、
泥落としのお話です。
夢ファクトリーみささから猛スピードで
泥落とし会場、K本さんのお宅に到着したのは
午後2時ごろでした。
お座敷には、皆さん勢ぞろい。
O谷さん(2世帯)、A木さん、K本さん、M浦さんの5世帯
大人15人、子ども8人、総勢23人の皆さんが
温かく迎えてくださいました。
下道川下地区は田屋原の、
泥落としのお話です。
夢ファクトリーみささから猛スピードで
泥落とし会場、K本さんのお宅に到着したのは
午後2時ごろでした。
お座敷には、皆さん勢ぞろい。
O谷さん(2世帯)、A木さん、K本さん、M浦さんの5世帯
大人15人、子ども8人、総勢23人の皆さんが
温かく迎えてくださいました。
テーブルを見ると、
アヤヤッ、
もう皆さんお食事が終わっているようです…
かなりお待たせしてしまったみたいですね。
本当にすみません。
泥落とし。
この言葉を聞いて、「知っているわよ」って
おっしゃったそこのアナタは、
人生の酸いも甘いも経験されたお方ですね。
田植え機やコンバインなどがまだ登場していなかったころ、
田屋原に限らず、全国津々浦々の農山村では
地域の人たちが手間を出し合い、
協力して田植えや稲刈りを行っていました。
田植えが終わると、体についた泥を落とし、
その疲れを癒そうと慰労会が開かれていました。
これが「泥落とし」です。
詳しくは拙文(匹見町誌現代編第9編生活第2章「生活の移り変わり」)
を読んでいただければ幸いですが(←ちょっとPR、笑)、
田屋原では、
田植え機の登場で共同作業が必要なくなってからも、
昔ながらの泥落としを続けてきました。
ライフスタイルの変化によって、
皆さんが顔を合わせる機会がめっきり減る中、
「年に1回の泥落としだけは絶やすことなく続けていこう」との思いで
今日に至っています。
今も、泥落としの慣習が残っている地域もあるようですが、
旅行へ行ったり温泉に入ったりするなどのケースも少なくなく、
昔ながらのスタイルを守り、
毎年持ち回りの当屋を回り、手作り料理で宴会しているのは、
匹見町に限って言えばこの田屋原のみ。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
私の席は、“両手に花”
素敵な男性2人に囲まれた上座に
設けてくださっていました。
恐縮しながら座すと、
道川神楽の大御所でもあるO谷さんが、
「せえだぁ〜て、食べんさい」とおっしゃったのです。
私が
「ハアッ〜?、さっなんですか?(出雲弁で“はいっ?それはどういう意味ですか?”)と切り返すと、
皆さん大爆笑。
だって、おっしゃっている意味が分からないんですもん。
周囲の人に通訳を求めると、
「せえだぁ〜て」は「しっかり」の意味。
つまり、たくさん食べなさい。と声をかけてくださったのです。
その後も、Oさんと私との間には「言葉の国境」が立ちはだかり、
予期せぬ2人漫才が続いたのでした。

ジャーン、ご覧下さい!!
私の目の前に並んだ豪華な料理の数々。
うわ〜、すごい、すごい!!
定番の押し寿司に、ぼた餅、鯨肉入りのネギのぬた、
それに大人も子どもも大好きな、すき焼きと刺身もありましたよ。
どれもこれも旨い旨い、旨いぞーー。
ちなみに、刺身の手前に写っているワサビは、
つい先ほど、夢ファクトリーみささの三葛神楽で
いただいたワサビでございます。
残念ながら、このワサビ。
自宅の冷蔵庫の中の片隅に入れておいたのですが、
うっかり忘れ、そのままに。
気づいたときにはしなびておりました。
三笹の皆さん、罰のあたることをしました。
懺悔いたします。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
鯨肉で思い出したんですが、
匹見町にはおよそ昭和40年代ごろまで、
秋口になるとクジラ(黒皮付きの脂身)の行商人が
訪れていました。
当時を知る町民の皆さんの口からは、
江津市波子(ごうつし・はし)から訪れていた、
クジラ肉を背負った2人連れの女性の話が飛び出します。
車も普及せず、ましてや道路整備が進んでいないころ。
その行商のおばちゃんたちは、
匹見町の決まった家庭にいつも泊めてもらっていたそうです。
そして、宿賃代わりにクジラ肉を置いていったらしいのです。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
ご馳走の中でも目が飛び出そうだったのは
すき焼きのお肉。
甘辛の味がしっかり肉に染み込んでいて、
肉質やわらか、そしてジューシー。
私の頬っぺたはゆるみっぱなし。普段もですが…アハハ
聞けば、益田市の牧場で育った牛のお肉なのだそうです。
いやいやぁ〜、実はですね。
匹見町にもこれに勝るとも劣らない、
おいしいお肉になる牛を育てているご夫婦がいらっしゃるんですよ。
そう、この田屋原に、です。
このお肉は匹見町(益田市でも)で食べたり
買うことができるんです。
聞きたい?知りたいですよね。
そうですか、分かりました。
それでは、このお話は後日のブログで紹介しますね。
つ、つまんないですか?
まあ、そう言わず。楽しみは後に取っておきましょうよ。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
泥落とし会場に話を戻します。
おなかいっぱいご馳走をいただいた後は
しばしの談笑。
かつて集落のあった道川の芋原という場所に、
家を改装して休日を利用して帰っている人がいる。とか
小屋!?を新たに作り、別荘代わりに利用している人がいる。とか
そんな明るい話題もちらほら。
しかも!!
かつて匹見上と道川を結んだ生命路線である往還道を歩こう!!
(↑私が勝手に名付けた)というイベントが
来月8日(金)に開かれると聞くじゃないですか。
この往還道のルートには、
地元の人に「眼鏡峠」という名前で語り継がれる峠があり、
匹見町誌で道路の歴史を担当した私にとっても、
興味のある道なのです。
機会があれば一度歩いてみたいなあと思っていたところなので
まさに「渡りに船」のグッドタイミングです。
このイベントについても、日を改めてご案内したいと思います。

泥落としの最後は、記念撮影で。
この日の模様をブログで紹介したいとの思いから、
皆さんにご快諾をいただき
撮影させていただきました。
本当に皆さん、いい人たちです。
「田屋原の人間はみんな、仲がいい」。
そうおっしゃっていたOさんの言葉が説得力を増します。
泥落としがお開きとなったのは夕方の4〜5時ころ。
はっきり時間を覚えていません。
そして嬉しいことにお料理のお土産もいただきました。
わさび神社例祭と田屋原の泥落としが
同じ日に開催されたことに、感謝。
無事に出雲―匹見間を往復できたことに、感謝。
美味しいお料理と
皆さんの笑顔に再び出合えたことに、感謝。
楽しい、楽しい時間を過ごしました。
アヤヤッ、
もう皆さんお食事が終わっているようです…
かなりお待たせしてしまったみたいですね。
本当にすみません。
泥落とし。
この言葉を聞いて、「知っているわよ」って
おっしゃったそこのアナタは、
人生の酸いも甘いも経験されたお方ですね。
田植え機やコンバインなどがまだ登場していなかったころ、
田屋原に限らず、全国津々浦々の農山村では
地域の人たちが手間を出し合い、
協力して田植えや稲刈りを行っていました。
田植えが終わると、体についた泥を落とし、
その疲れを癒そうと慰労会が開かれていました。
これが「泥落とし」です。
詳しくは拙文(匹見町誌現代編第9編生活第2章「生活の移り変わり」)
を読んでいただければ幸いですが(←ちょっとPR、笑)、
田屋原では、
田植え機の登場で共同作業が必要なくなってからも、
昔ながらの泥落としを続けてきました。
ライフスタイルの変化によって、
皆さんが顔を合わせる機会がめっきり減る中、
「年に1回の泥落としだけは絶やすことなく続けていこう」との思いで
今日に至っています。
今も、泥落としの慣習が残っている地域もあるようですが、
旅行へ行ったり温泉に入ったりするなどのケースも少なくなく、
昔ながらのスタイルを守り、
毎年持ち回りの当屋を回り、手作り料理で宴会しているのは、
匹見町に限って言えばこの田屋原のみ。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
私の席は、“両手に花”
素敵な男性2人に囲まれた上座に
設けてくださっていました。
恐縮しながら座すと、
道川神楽の大御所でもあるO谷さんが、
「せえだぁ〜て、食べんさい」とおっしゃったのです。
私が
「ハアッ〜?、さっなんですか?(出雲弁で“はいっ?それはどういう意味ですか?”)と切り返すと、
皆さん大爆笑。
だって、おっしゃっている意味が分からないんですもん。
周囲の人に通訳を求めると、
「せえだぁ〜て」は「しっかり」の意味。
つまり、たくさん食べなさい。と声をかけてくださったのです。
その後も、Oさんと私との間には「言葉の国境」が立ちはだかり、
予期せぬ2人漫才が続いたのでした。
ジャーン、ご覧下さい!!
私の目の前に並んだ豪華な料理の数々。
うわ〜、すごい、すごい!!
定番の押し寿司に、ぼた餅、鯨肉入りのネギのぬた、
それに大人も子どもも大好きな、すき焼きと刺身もありましたよ。
どれもこれも旨い旨い、旨いぞーー。
ちなみに、刺身の手前に写っているワサビは、
つい先ほど、夢ファクトリーみささの三葛神楽で
いただいたワサビでございます。
残念ながら、このワサビ。
自宅の冷蔵庫の中の片隅に入れておいたのですが、
うっかり忘れ、そのままに。
気づいたときにはしなびておりました。
三笹の皆さん、罰のあたることをしました。
懺悔いたします。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
鯨肉で思い出したんですが、
匹見町にはおよそ昭和40年代ごろまで、
秋口になるとクジラ(黒皮付きの脂身)の行商人が
訪れていました。
当時を知る町民の皆さんの口からは、
江津市波子(ごうつし・はし)から訪れていた、
クジラ肉を背負った2人連れの女性の話が飛び出します。
車も普及せず、ましてや道路整備が進んでいないころ。
その行商のおばちゃんたちは、
匹見町の決まった家庭にいつも泊めてもらっていたそうです。
そして、宿賃代わりにクジラ肉を置いていったらしいのです。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
ご馳走の中でも目が飛び出そうだったのは
すき焼きのお肉。
甘辛の味がしっかり肉に染み込んでいて、
肉質やわらか、そしてジューシー。
私の頬っぺたはゆるみっぱなし。普段もですが…アハハ
聞けば、益田市の牧場で育った牛のお肉なのだそうです。
いやいやぁ〜、実はですね。
匹見町にもこれに勝るとも劣らない、
おいしいお肉になる牛を育てているご夫婦がいらっしゃるんですよ。
そう、この田屋原に、です。
このお肉は匹見町(益田市でも)で食べたり
買うことができるんです。
聞きたい?知りたいですよね。
そうですか、分かりました。
それでは、このお話は後日のブログで紹介しますね。
つ、つまんないですか?
まあ、そう言わず。楽しみは後に取っておきましょうよ。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
泥落とし会場に話を戻します。
おなかいっぱいご馳走をいただいた後は
しばしの談笑。
かつて集落のあった道川の芋原という場所に、
家を改装して休日を利用して帰っている人がいる。とか
小屋!?を新たに作り、別荘代わりに利用している人がいる。とか
そんな明るい話題もちらほら。
しかも!!
かつて匹見上と道川を結んだ生命路線である往還道を歩こう!!
(↑私が勝手に名付けた)というイベントが
来月8日(金)に開かれると聞くじゃないですか。
この往還道のルートには、
地元の人に「眼鏡峠」という名前で語り継がれる峠があり、
匹見町誌で道路の歴史を担当した私にとっても、
興味のある道なのです。
機会があれば一度歩いてみたいなあと思っていたところなので
まさに「渡りに船」のグッドタイミングです。
このイベントについても、日を改めてご案内したいと思います。
泥落としの最後は、記念撮影で。
この日の模様をブログで紹介したいとの思いから、
皆さんにご快諾をいただき
撮影させていただきました。
本当に皆さん、いい人たちです。
「田屋原の人間はみんな、仲がいい」。
そうおっしゃっていたOさんの言葉が説得力を増します。
泥落としがお開きとなったのは夕方の4〜5時ころ。
はっきり時間を覚えていません。
そして嬉しいことにお料理のお土産もいただきました。
わさび神社例祭と田屋原の泥落としが
同じ日に開催されたことに、感謝。
無事に出雲―匹見間を往復できたことに、感謝。
美味しいお料理と
皆さんの笑顔に再び出合えたことに、感謝。
楽しい、楽しい時間を過ごしました。