匹見今昔

2020年04月15日

【匹見今昔】匹見中とウッドペッカー

以前から気になっていた
案件、ようやく終止符がつきました。

何かって!?

ウッドペッカーの建物が
どこかしら校舎に似ている件。

匹見支所の
耐震化工事に伴に
昔の貴重な写真が出てきたことは
以前お伝えしたとおりなのですが


その写真の中に
★匹見中かつての匹見中学校校舎が
ありました。


その正面入り口が
ウッドペッカーウッドペッカーとすごーく似ていたのが
ずっと気になっていて。


今日その全容が明らかに。

以下、時系列でお伝えしますね。

迷路匹見町の観光施設である
メイズは
匹見町の商工会が中心となって
昭和58年7月にニュージーランド・ワナカに
視察団を送り、メイズとパズルのノウハウを学んで
昭和61年4月29日にオープン。
※『匹見町誌』参照



ウッドペッカー匹見町のWさんの話によると
メイズに隣接する
ウッドペッカーの建物も
昭和61年4月1日にオープン。

当初は
匹見中学校の校舎を解体するときに出る
廃材を活用して建築する構想もあったようですが

結果的には
匹見中学校の校舎を模して
新築した建物なのだそうです。

初耳!
Wさん
なぞが解けました。
有難うございます!



hikimityou at 10:05|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2020年02月20日

匹見今昔 匹見中学校

話題沸騰中(!?)の匹見今昔。
久しぶりの更新です。

★匹見中今日はこちらの写真。

見た感じ、学校です。
どちらの?

木造の重厚な佇まい。

ゆったりとした
古き良き昭和の風が吹きわたっている、そんな感じがします。

そう
こちらは
匹見中学校。


建て直されたのは
校舎だけ?と思っていたけれど

匹見中現場確認をすると
どうやら体育館も建て替えされているみたいですね。

こちらの木造校舎で学ばれた匹見出身の方は
どれだけいらっしゃるのでしょうか。

昭和38年に中学生だったSさんによると
2階の窓から外へ飛び下りることができたぐらい
積雪があったそうです。

今からは、考えられない降雪量だったんですね。





hikimityou at 17:23|PermalinkComments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2020年01月28日

【匹見今昔】匹見小学校


★匹見小ここがドコだか分かりますかーー?


みたところ、学校?

正解です。

今は?

ございません。

かつての匹見小学校です。

今はこの校庭上に県道42号(匹見と六日市をむすぶ道路)が走っています。

遠くに見える山は今も変わりません。
山のふもとは、山根下や萩原といった集落になります。

コチラの写真も
よくよくみると
米の収穫が終わった時期であることが分かります。


現在の写真と重ねてみましょう。
ある程度撮影ポイントを同じにすると
↓こんな感じ。木が邪魔してしまいます。
匹見小跡(木陰より)




そして違う角度から。
★匹見小跡



昔学校だったところは
保健センターや森本商店さん前の広場、県道42号に
代わったということですね。


螢疋ァ璽魯麌じ工場の建物(青い屋根)も
今と昔、同じですね。
その左側に並ぶ建物も変わっていませんね。


写真手前右側の屋根あたりは
現在の森本商店さんがあるところ、とのことです。


こちらの学び舎に通っていた
地元の方のお話によると
小学校の校庭は子どもたちの遊び場で
パッチやビー玉をして
遊んだそうです。


子どもたちの声が聴こえてきそう、です。


hikimityou at 08:30|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2020年01月15日

【匹見今昔】匹見タウンホールと弘法院

匹見総合支所の耐震化工事に伴い
昨年末から支所内の整理作業が行われているのですが
偶然にも「お宝」が「発見」され
Kさんが私にシェアしてくださいました。

これは是非
匹見にご縁のある皆様方に情報共有させていただきたいと思い
許可を得て、掲載させていただきます。


じゃじゃーーん。

こちら
恐らく昭和40年代中ごろから昭和50年代前半までに撮影された
匹見タウンホール周辺の写真です。
↓ ↓ ↓
★タウンホール




現物の写真を私が接写したので
画質は少し悪くなっているのですが
許してくださいね。


当時と今の違いが分かるよう
40数年前の写真と同じ場所(★詳細は後述)から撮影を試みたのですが
ご覧の通り↓↓
★タウンホール
目の前は木々に覆われていて分かりにくい。

そのため1月15日
できるだけ撮影ポイントに近い場所からシャッターを切りました。
こんな感じです。
 ↓ ↓ ↓

01現在のタウンホール
02現在のタウンホール

分かりますか〜
間違い探しゲームみたいな感覚で写真を見比べてくださいね。


数人の匹見の方への聞き取りを含め
下記のことが分かりました。

・撮影時期は晩秋

・川向こうには何段ものハデバ(出雲の我が家では、こう呼んでいた)が!
 出雲では割と最近まで10段近く、木を組んだ稲架が、出雲平野の風物詩でした

・ちょうど河川工事が行われている最中。

・匹見タウンホールの建物の周りに水路が張り廻られている。
うわさで聞き知っていましたが
写真でみるのはほとんどなかったかなー
 
水路の中には鯉が泳いでいたり(優雅)
正面玄関近くには池があり
亀やオオサンショウウオも棲んでいたとのこと。

・一番の大きな違いは
県道42号線(匹見で唯一の信号つき)の有無でしょう!

・駐車場の車をみると、フェンダーミラーの車が沢山
 
車のことに詳しいSさんによると
当時はいわゆる軽自動車って普及していなかったみたいですね。

1000〜1500佞両型乗用車が多く、
中でもコロナ(トヨタ)とカローラ(トヨタ)が大衆車だったとのこと。

ちなみに2000侫ラスの車を普通車(マーク供▲ラウン等)って言ってたんですね。

改めて写真を見てみると、
立派な小型乗用車ばかり並んでいます。

いまだったら軽自動車の売り出しフェア―みたいに、
軽トラばっかり並んでいるんですけど
当時はあまり軽トラってなかったんでしょうかねー

自分では気づかなかったけど
匹見タウンホールの、今と大きく違う点を教えていただきました。
 
屋上にご注目下さい!
昔はウサギの耳みたいなものが空に向かってそびえたっていますが、今はない。

当時を知る方によると
小さい頃は屋上にあがって遊んでいたそう。
自由にあがってよかったみたいです。

おそらく、屋根裏的なものがつくられたんでしょうね。
増築の理由と活用方法は分からないので
また分かる方教えてください!

あと
何といっても思い出深いのが
写真手間のトタン屋根の職員組合の建物です。

今は壊されて更地になっていますが
ココは何を隠そう、
私が匹見町誌編纂のときに
1年間のうちの半分を寝泊まりさせてもらったところです。
大変お世話になったわ〜

職員の方からは「出るよ!」って
冗談半分に言われ脅かされていましたが、
私には「見えません」でした。
ホント、お世話になった建物です。

当時を知る詳しい人なら
まだまだいろんな情報があると思いますが
ひとまず今日はこのへんで〜〜

あっ言い忘れそうになっていました。
当初、撮影ポイントにしようと思っていた場所、
通称・弘法院(こうぼういん)。

今から15年ぐらい前から気になっていた場所なんですが
行く機会がありませんでした。

昔の写真と同じ場所から、今の様子を撮影すべく
必要に迫られて
先週、天気の良い日に
小高い山の上に建つ弘法院へ
一段一段階段を昇りつめて向かったのです。


普段運動をしていない私にとってはきつい時間でしたが
歩くこと数分あまりで到着。

噂に聞く「弘法院」。
こんな感じ。↓↓↓
弘法院敷地
★弘法院正面
弘法院中

「導かれた!」と思いましたね。
必要な時に必要なことが巡ってくる。

弘法院といえば、真言宗の仏教寺院。
本尊は弘法大師(空海)


匹見町誌編纂の頃から
行こうと思えばいつでも行けたのに、
なぜか行動に結びつかず、でしたが。

そうですか、今ですか…(と独り言)

日々起こるすべてのことに意味がある、と
このとき痛感いたしました。


と話が長くなってきましたので
今日はこのあたりで。

匹見の今昔。続編がございます。
またご覧くださいね。

ではではでは〜





hikimityou at 17:45|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック