2007年10月28日

眼鏡峠登山 ご報告

大変お待たせしました。
眼鏡峠登山の続きをお伝えします。

広島のNさんのブログもご参照くださいね。


眼鏡峠は
昭和28年に道川村と匹見上村とを結ぶ自動車道が出来るまでの
往還道でした。

最近、古道探索というのが流行っているらしいのですが
この眼鏡峠も
かつてはたくさんの近郊近在の人たちや旅人が往来した道なのであります。

自動車道の完成から50年。
いつしか眼鏡峠は人々の記憶から忘れ去られようという中にありましたが
今春、地元の人たちが中心となり
獣道と化していた往還道をきれいに刈りばらいされ
再び歩くことができるようになったのです。

昔は、ワラジを履いて歩けるような道だったとか。
今回は道に竹の子どもたちがにょきにょき生えていたり
道が崩れているところもありましたが
往時の様子を知るのには十分すぎるくらい。

この日のために汗を流してくださった皆さん
有難うございました。

往還道は主に
日本で一番長い索道といわれた「益田索道」跡に沿って歩きます。

ところどころ、鉄塔の存在を知らせるコンクリート跡がありました。

あちこちに、泥水のたまり場がありました。
これはイノシシの風呂場、通称「ぬた場」と呼ばれるもので
イノシシが体についたダニを洗い流す場所。

イノシシは綺麗好きなんですね。
ぬた場の近くの草には泥が付着していて
この草で体をこすったと思われます。

たくさんの人が往来していたことが伺える
「はん茶屋」という地名があったり、石垣跡も見え
かつては山中で生活し
そこでおいしいお米を育てていた様子が目に浮かぶようでした。

眼鏡峠(大峠)に至るまでには、三合峠、仏峠という2つの峠を歩きました

眼鏡峠:岩海
途中、岩海(がんかい)と呼ばれる場所があり、道の両側に、ごろごろと大きな岩が顔を出していました。先人たちは、この大きな岩を手作業で動かして道を作ったのでしょう。本当に頭が下がります。

眼鏡峠:木洩れ日
更に進むと、今度はナラの木立が現れ、しばらく木洩れ日の中を歩きました。木洩れ日の合間を縫って、遠く広見山や、はんしろう山が望めました。

道の脇には炭窯の跡もありました。

それにしても昔の人たちは本当に賢い。
コンピュータなど発達していなかった時代に
米がよく出来る場所を探し、山の斜面に田を作り、石垣を築いて生活をしていた。
これぞまさしく匠の技。

便利な世の中となり、五感を働かせなくても十分生活できる昨今ですが
昔の人たちにとって頼れるのは、自分の五感のみ

匂い一つ、味覚一つで、たくさんの情報を得ることが出来ました。
今は賞味期限がきちんと表示されていて
五感を働かせる必要はないけれど
今の便利で合理的な世の中にどっぷりと浸かっていると
きっとどこかでそのツケが回ってくるような気がしてなりません。

って、えらそうなことを言ってますが
これは全て山ぼけ会代表のTさんに山歩きの途中で教えてもらったこと。

どんなに便利な世の中になっても
人間が人間であることに変わりはないはず。

「なぜ匹見のことがそんなに好きなの?」ってよく聞かれるんですが
子どもの頃は、今のようにファミコンとか全くなくったって
一日中、日が暮れるまで山や川を遊び回っていたと思うんです。
それがとても楽しかった。

都会と比べると、匹見には何もないという人がいるかもしれませんが
人間が人間らしく生活できることのできるフィールドが匹見にはたくさん
残っているのだと思います。

だから、童心に返った気持ちで自然や人と遊べる環境がある。
そんなところに私は匹見の魅力を感じているのだと、思っています。
ちょっと熱く語ってしまいました。


hikimityou at 13:09│Comments(0)TrackBack (0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック <$ArticleCategory1 $> | つぶやき

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